11.28.19:39
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09.12.10:35
.「今後は恩返ししたい」 ミス・ユニバース日本代表、宮坂絵美里さん帰国
- [CATEGORY:ニュース
8月にカリブ海のバハマで開催されたミス・ユニバース世界大会の日本代表、宮坂絵美里(えみり)さん(25)が、大会を終えて帰国した。残念ながら上位には食い込めなかったが、「今後はリポーターやキャスターにも挑戦し、支えてくれた皆さんに恩返しがしたい」と新たな夢に向かって走り出している。(村上智博)
[フォト]過激ミスユニバ代表衣装に抗議や批判の嵐
世界の美の競演、ミス・ユニバースは8月23日、世界84カ国の美女の中からベネズエラ代表が栄冠を射止めて閉幕した。その日、最終選考会のオープニング直後にトップ15が発表されたが、そこに宮坂さんの名前はなかった。17日に行われた事前審査を突破できなかったのだ。
宮坂さんは7月末に日本を離れ、8月1日にバハマ入り。現地では各国代表と共同で生活しながら連日、海外メディアのインタビューなどに追われた。17日の事前審査は、出場者全員が同じ水着を着たり各国からそれぞれ持ち込んだ衣装を着たりして、本大会と同じ舞台で行われた。
宮坂さんはそこで、貝殻を埋め尽くしたドレスを着用し、喝采(かっさい)を浴びた。「非常に重く、ピンヒールも履いていたので歩くのが難しかった。でも最善は尽くしました」と振り返る。
宮坂さんの衣装といえば、7月の壮行会で披露されたピンクのレオタードに丈の短い牛革製の和服を羽織ったナショナルコスチュームが過激だと批判され、デザインが見直されるといういきさつがあった。「最終的には着物の丈を当初より長くし、より日本の文化をアピールしようと試みました」と言う。
この衣装は、事前審査に先立って行われたコスチューム大会で着用。宮坂さんは「軽くて着心地も良く、周りにもなじみ、日本の衣装が一番お気に入りと言ってくれる海外メディアもたくさんいた」と話す。ただ、このイベントは世界大会の審査結果には「影響はない」と関係者に言われたそうだ。
最終的に上位進出を逃したが、「世界一になることだけを考えてトレーニングに励み、勝つ自信もありました。トップ15入りできないと知ったときは頭の中は真っ白で、呆然(ぼうぜん)となった。大会を楽しんでいるというオーラは出していたと思うのですが、世界のハードルは高かった。敗因は、何かが自分に足りなかったんだと思います」と反省する。
各国の代表と渡り合った3週間は「人生で一番印象に残る過酷な経験だった」と振り返る宮坂さん。「世界各国のミスと出会い、改めて日本文化の素晴らしさを感じることができたし、楽しかった。これからはまだ具体的には決まっていませんが、スポーツが好きなので、高校時代にやっていたバスケットボールのリポーターに挑戦したいです」と前向きに話していた。
<産経新聞ニュースより>
本当にお疲れさまでした。
上位に入らなくても出られただけでもすばらしい
事だと思いますよ。
これから、違うジャンルで見れるのも楽しみですね。
[フォト]過激ミスユニバ代表衣装に抗議や批判の嵐
世界の美の競演、ミス・ユニバースは8月23日、世界84カ国の美女の中からベネズエラ代表が栄冠を射止めて閉幕した。その日、最終選考会のオープニング直後にトップ15が発表されたが、そこに宮坂さんの名前はなかった。17日に行われた事前審査を突破できなかったのだ。
宮坂さんは7月末に日本を離れ、8月1日にバハマ入り。現地では各国代表と共同で生活しながら連日、海外メディアのインタビューなどに追われた。17日の事前審査は、出場者全員が同じ水着を着たり各国からそれぞれ持ち込んだ衣装を着たりして、本大会と同じ舞台で行われた。
宮坂さんはそこで、貝殻を埋め尽くしたドレスを着用し、喝采(かっさい)を浴びた。「非常に重く、ピンヒールも履いていたので歩くのが難しかった。でも最善は尽くしました」と振り返る。
宮坂さんの衣装といえば、7月の壮行会で披露されたピンクのレオタードに丈の短い牛革製の和服を羽織ったナショナルコスチュームが過激だと批判され、デザインが見直されるといういきさつがあった。「最終的には着物の丈を当初より長くし、より日本の文化をアピールしようと試みました」と言う。
この衣装は、事前審査に先立って行われたコスチューム大会で着用。宮坂さんは「軽くて着心地も良く、周りにもなじみ、日本の衣装が一番お気に入りと言ってくれる海外メディアもたくさんいた」と話す。ただ、このイベントは世界大会の審査結果には「影響はない」と関係者に言われたそうだ。
最終的に上位進出を逃したが、「世界一になることだけを考えてトレーニングに励み、勝つ自信もありました。トップ15入りできないと知ったときは頭の中は真っ白で、呆然(ぼうぜん)となった。大会を楽しんでいるというオーラは出していたと思うのですが、世界のハードルは高かった。敗因は、何かが自分に足りなかったんだと思います」と反省する。
各国の代表と渡り合った3週間は「人生で一番印象に残る過酷な経験だった」と振り返る宮坂さん。「世界各国のミスと出会い、改めて日本文化の素晴らしさを感じることができたし、楽しかった。これからはまだ具体的には決まっていませんが、スポーツが好きなので、高校時代にやっていたバスケットボールのリポーターに挑戦したいです」と前向きに話していた。
<産経新聞ニュースより>
本当にお疲れさまでした。
上位に入らなくても出られただけでもすばらしい
事だと思いますよ。
これから、違うジャンルで見れるのも楽しみですね。
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